世界のリーディングホテルVOL21 オテル ド パリ(前編)
週刊ホテルレストラン 2012年4月13日号掲載
世界にはまだまだ日本人が訪れていないホテルがある。このコーナーではホテリエが知っておくべき「世界のリーディングホテル」を紹介する。これまで多くのホテル紹介本が出版されてきたが、そのほとんどが現地のホテルと事前に取材の連絡を取り合い、プロのカメラマンや通訳、そのほか大勢を連れ立っての大名取材であり、宿泊は省略といったことも多々であった。本連載では、著者自身が長年にわたる個人旅行中に自分の目で感じ取り、コメントを書き込み、自分のカメラで思いのままを撮ってきた写真を掲載する
モナコのホテル・レストラン、もしくは観光産業を語る際に必ず言及されるのは、モンテカルロSBMグループの存在だ。“ソシエテ・デ・バン・ド・メール”「La Societe des Bains de Mer」という名のモナコ公国を主要株主とする半官半民の企業で、3000人の従業員を擁するモナコ最大の観光産業グループである。SBMは5つのカジノ、オテル・ド・パリやエルミタージュなどを含む4つのホテル、ミシュラン3ツ星からカジュアルスタイルを含めて33のレストラン、ヨーロッパ随一の規模と質を誇るスパなどを傘下に所有し、まさに国家挙げての巨大グループだ。
去年2011年7月3日にアルベール2世大公が盛大な結婚式を挙げて脚光を浴びたモナコは、正式にはモナコ公国という名称で域内は6つの区域に分かれている。そのうちの1つがカジノのある中心部に位置するモンテカルロ(カジノ・リゾート地区)だ。SNCF(フランス国鉄)の駅名もモナコ‐モンテカルロ駅となっている。1861年シャルル3世の治世下、モナコ公国の主権が回復するとすぐにグラン・カジノを63年に開業させ、翌64年にオテル・ド・パリ、68年にはカフェ・ド・パリがオープンして、遂にカジノ広場の“夢のトライアングル”が完成する。ちなみに現在のグラン・カジノはパリのオペラ・ガルニエを建築したシャルル・ガルニエによって78年に建て替えられたものである。
SBMグループの旗艦、オテル・ド・パリはモンテカルロの象徴として歴史を刻んで来たパラスホテルである。著名なデザイナーのフランソワ・ブランの創作により、ベルエポック様式の絢爛たる装飾美を誇示し、シャルル3世の夢を実現して1864年に開業した。荘厳ともいえるグランドロビーに一歩踏み入れると太陽王ルイ14世の騎馬像にゲストは迎えられる。騎馬像の右手にはアラン・デュカス監修の3ツ星レストラン「Le Louis XV」が悠然と店を構える。ロビーを進むと左手にコンシェルジュデスクがあり、その奥にマホガニーと鏡で囲まれた優雅な空間があり、レセプションデスクが2台用意されている。なお、グランドロビーは7月の世紀の婚礼を前に、巨匠ピエール・イヴ・ロションのデザインにより改装された。
ホテルは83のスイートを含む全182室のゲストルームを有し、「Le Louis XV」を始め5つのレストラン・バー、アルベール2世大公が結婚披露宴を催したことでも知られる華麗なボールルームの「SalleEmpire」などを擁している。特筆すべきはヨーロッパ随一の規模を誇る“レ・テルム・マラン”「LeThermes Marins de Monte-Carlo」であろう。6600m²に及ぶ巨大な4層のコンプレックスで、あらゆるヘルスケア、トリートメント、スイミングプール、フィットネスなどの総合施設である。また、隣接するエルミタージュとは姉妹ホテルの関係で、レ・テルム・マランを共同で使用してそれぞれ地下道で連絡している。
次回はオテル・ド・パリの後編として、“ル・ルイ・キャーンズ”「Le Louis XV」と姉妹ホテル“エルミタージュ”「Hermitage」を連載予定。
筆者 小原康裕
ホテルジャーナリスト。慶応義塾大学法学部法律学科卒。74年Munich Re入社。85年築地原健(株)代表取締役。2001年投資顧問会社原健設立、代表取締役CEO。JHRCA、日本ホテルレストランコンサルタント協会理事。
※現在、著者のホームページで「世界のリーディングホテル」を連載中。多くの美しい写真と興味深いコメントで、世界中のホテルとそれら関連都市を紹介。ホテルだけにとどまらず、オリエントエクスプレスなど鉄道関係の掲載、季節刊行で世界遺産の案内などさまざまな情報が得られる。www.jhrca.com/worldhotel