伝説になったレストラン、エル・ブリ
料理の世界に新しい潮流を生み出したフェラン・アドリアが次に目指すもの
週刊ホテルレストラン 2011年10月28日号 58-61ページ掲載
1軒のレストランの閉店が、世界中のメディアで取り上げられることなど、以前には考えられなかっただろう。フェラン・アドリアが創造した料理と「エル・ブリ」という革命的なレストランのこれまでとこれからを俯瞰してみよう。
エル・ブリが創造した新しい料理の軌跡

「エル・ブリでは、オリジナルであることが最も重要だと学んだ」と、エル・ブリを卒業して世界で活躍するトップシェフは一様に言う。
世界のレストラン・ランキング「ワールドベスト50's」で2011年度の1位に輝くデンマークの「NOMA」のレネ・レゼビや「カンロカ」のジョアン・ロカ、そしてモダン・スパニッシュの旗手・「ムガリッツ」のアンドーニは、エル・ブリの厨房で日々「オリジナルな料理とは何か?」を考え続けていた。
95年~97年ごろ、エル・ブリの全く新しい解釈の料理を巡って、「あれは料理ではない」、「いや、新しい料理のスタイルだ」と、料理界は大きく揺れていた。
厨房でフェランたちは「自分たちの姿勢を貫いてどのようにオリジナルを生み出すか」のミーティングを日々重ねていた。それを理解し、支援したのが、スペイン料理の父と呼ばれるアルサックとスピハナだった。
例えば、ルノアールの描く裸婦が発表当初「死んだ魚の色」と酷評されたように、最初は理解されなかったエル・ブリの料理だったが、次第に世界の食通の間で話題に上るようになり、エル・ブリに行くために滞在しようと小さな港町・ロサスの町には世界中からの人が訪れるようになった。
なにしろもともとヨットや海岸リゾートで来る客だけを想定して建てられたエル・ブリの立地は、バルセロナから高速で2時間。最寄りのロサスからでも車で30分、山道をたどって行かなければならなかったからである。
エル・ブリが世界一のレストランであること決定づけたのは、05年8月のニューヨークタイムズに掲載された記事がきっかけだった。フェラン・アドリアを表紙に起用した号にはこんな文章が掲載された。「エル・ブリは世界一のレストランである。今やスペイン料理界は、フランス料理を凌駕(りょうが)した」
ニューヨークタイムズの表紙になるという話が舞い込んだとき、たまたまエル・ブリにいたフード・コーディネーターの結城摂子さんは、フェランがこう叫ぶのを聞いたという。
「これで僕の人生が変わる!」
そうしてエル・ブリの伝説が始まった。


