オルセー河岸37番地に集う
―日本支援のための慈善大晩餐会(ディネ・ド・ガラ・ド・シャリテ)―
週刊ホテルレストラン 2011年7月15日号 5・43ページ掲載

フランス外務省とコレージュ・キュリネール・ド・フランス共催の『Urgence pour le Japon(ユルジョンス・プール・ル・ジャポン)(日本緊急支援)』ガラディナーは、事前告知期間が30日そこそこだったこと、一人当たり1,000ユーロ(11万円強)という例外的に高額な参加料を考えれば、よくぞここまでといえる有料入場者220名を集めて6月14日午後8時からフランス外務省迎賓館で開催された。パリ7区、ケ・ドルセー37番地にある同館は、内外ともに壮麗な第二帝政様式で統一され、竣工は1855年。当初外務省の本省として設計されたものである。
いきなり、予定外の出来事があった。入場開始の直前、他の公務のため残念ながら出席できないと伝えられていたアラン・ジュペ外相がひょっこり現れたのだ。同外相は、迎賓館正面玄関前の石段上で今夜の晩餐を外務省と共催するフランス人シェフたちならびに日本から招待された中村勝宏、吉野建、高木慎一郎の三人のシェフとの記念撮影に加わった。なお、コレージュ・キュリネール・ド・フランスに名を連ねるシェフ16名のうち、この夜集まったのは、ヤニック・アレノ、アラン・デュトゥールニエ、ジル・グジョン、マルク・エーベルラン、ギィ・サヴォワ、レジス・マルコン、ティエリィ・マルクス、ジェラール・パセダ、ローラン・プティ、ミシェル・ゲラール、アラン・デュカスの11名だった。日本側もフランス側も、ここに集まったシェフたちは、日仏間をはじめ国際的な食の交流促進にそれぞれ功績があり、常に互いに高い関心を持って切磋琢磨し続けている点が共通している。

それにしても、一国の外務大臣が、一方の主催者として単に形式的に名前を貸すだけではなく、わずかとはいえわざわざ時間を割いて日本支援のための食関連イベントに姿を現したことは、すでに多様な局面で支援の手を差しのべてくれているこの国が、さらに食分野でも日本復興に貢献したいという政治レベルでの真摯な思いを示すものだった。ちなみに、このガラディナーの収益金は、そのまま東日本に対する義援金として寄付される。コレージュ・キュリネール・ド・フランスの依頼を受けて『フランス料理文化センター(FFCC)』がこの義援金を預かり、同センターが責任をもってフランス側の思いにふさわしい相手先に支援を行うことになる。
FFCCは、この日、上記三人のシェフの他、被災地東北の食材生産者の代表として宮城県気仙沼市で牡蠣を養殖している畠山重篤氏を同道していた。同地の牡蠣は、50年前にフランスの牡蠣が絶滅に瀕した際に種牡蠣として緊急輸出され、フランスの食文化からこの食材が消滅する危機を救った経緯があるからだ。「牡蠣なしには歳が越せない」というフランスの食文化における牡蠣の重要性を知る人であれば、この人選には容易に首肯できるだろう。
記念撮影が終わると、定刻にレセプション会場への入場が始まった。平日とあって会食者のドレス・コードは平服なのだが、御婦人方にはかなり気を使ったドレス姿が目立つ。なにしろ外務省主催の公式晩餐会とあって、受付からレセプション会場まで首から金鎖で吊ったメダルを懸け、黒の燕尾服で正装した儀典官たちが恭しく案内に立つのだから。


